転職成功者インタビュー | リージョナルHERO
静岡県内で社内SEをしていた本田和良さん。仕事にはやりがいを感じていたが、心の片隅にはいつも、「いつかは両親がいる三重にUターンしたい」という想いがあった。「今は元気な両親も確実に年を重ねていく。支えられるのは、長男の自分しかいない」。そんな本田さんが具体的な行動を起こすきっかけになったのは、昇進の話だった。「この話を受けたら、ますます辞めにくくなる」と考えた本田さんは、自分の想いを上司に打ち明け、会社を退職した。先に会社を辞めたのは、働きながらの転職活動は難しいと考えたから。「貯めていたお金で生活しながら、転職活動に専念したかった」と本田さん。当初は希望していた社内SEの仕事を三重県内で見つけることができず、活動は難航したが、リージョナルキャリア三重との出会いによって活路が開けた。「社内SEの求人は、一般的なサイトにはなかなか出ないんです。リージョナルキャリアに相談してよかった」と喜ぶ本田さんに詳しいお話をうかがった。(※本記事の内容は、2022年3月取材時点の情報に基づき構成しています)
業務用空調機のメーカーである木村工機。同社の三重にある河芸製作所で製造部副部長として活躍している小岩さんはかつて、大手飲料メーカーに勤めていた。国内外の工場を30年以上渡り歩きながら、製造プロセスのマネージメントを担当し、海外工場の工場長を務めたこともある。そんな小岩さんが転職を考えるようになった理由は、長期化していた単身赴任生活への不安だった。40歳で家を建てて以来スタートした単身赴任生活は15年にもおよび、気がつけばもう50代中盤。一人暮らしを続けることに不安と寂しさを感じるようになったという。「地元で暮らす両親も、もう高齢。あと何回会えるのだろう?とまじめに考えた時に、いつまでも全国を転々としていていいのか?と思ったんですよ」と小岩さんは振り返る。「転職していちばん良かったのは、家族と住めるようになったこと。家に帰った時、誰かが待ってくれているのはやっぱりいいですねぇ。当たり前の幸せをやっと手に入れた気がします」としみじみ話す小岩さんの転職体験談を紹介しよう。(※本記事の内容は、2021年12月取材時点の情報に基づき構成しています)
遠藤さんの前職は医療法人の社内SE。複数の施設をコントロールするすべてのシステムをほぼ1人で管理していた。ところが重責を担っているわりに、昇給は13年間ほとんどなく、経営状況の悪化から残業代も出なくなった。そのうえ経営者との折り合いも悪くなり、転職が頭をよぎるようになったという。5年間迷い続けたが、40歳を目前についに転職活動を決断。「自分のキャリアにニーズがあるのか、不安でいっぱいだった」という遠藤さんだったが、リージョナルキャリア三重に相談すると、希望していたすべての条件を満たす今の会社と巡り合えた。「さんざん悩みましたが、決断して正解でした。転職して気持ちがすっきりしました」と話す遠藤さんの笑顔は、長年の悩みから解放された明るさにあふれていた。(※本記事の内容は、2021年8月取材時点の情報に基づき構成しています)
三重県に住む矢野さんの前職は、化学メーカーの営業職。名古屋の職場まで、毎日電車で90分かけて通勤する生活を続けていた。さらに、マイホームを建てたばかりのタイミングで、東京転勤の内示が出てしまう。今後、名古屋に帰ってこられる保証はないと考えた矢野さんは、地元三重県内での転職をめざして活動を開始。コンサルタントから紹介された求人は、自分では考えていなかった未経験の経理職だったという。転職を機に、地元での就職だけでなく、長年の夢をかなえることにも成功した矢野さんの体験談を紹介しよう。(※本記事の内容は、2021年3月取材時点の情報に基づき構成しています)
食品や化粧品に使用される香料開発のスペシャリストとしてキャリアを重ねてきた北山宏之さん(仮名)。転職のきっかけは、東京から千葉への単身赴任だった。当時、二人の子どもは0歳と3歳で、単身赴任で東京に残された家族の負担は想像以上に大きかった。加えて会社の将来にも不安を感じていた北山さんは転職活動を開始し、三重県にある今の会社と出会った。住み慣れた東京の会社からもオファーはたくさんあったそうだが、なぜ北山さんは何のゆかりもなかった三重県の会社を選んだのか。転職活動と現在の暮らしについて詳しくうかがった。(※本記事の内容は、2020年6月取材時点の情報に基づき構成しています)
高橋健司さん(仮名)は元・大手化学メーカーの技術者。勤務先の三重県四日市に二世帯住宅を建て、実家から親を呼び寄せたとたんに、東京へ異動になった。以来、月に1度のペースで東京から四日市へ帰省する生活を継続したものの、体力的な限界を感じて愛知県の会社に転職。しかし、そこでも仕事が忙しく、結局週末しか自宅へは帰れない。「定年までこの生活が続くのか...」と諦めかけていたところに、以前転職を相談していたコンサルタントから「四日市の求人がある」と連絡が入った。56歳で念願だったUターンを実現し、「仕事でも今までの経験を十分にいかせています」と喜ぶ高橋さんに、転職体験談をインタビューした。(※本記事の内容は、2020年3月取材時点の情報に基づき構成しています)
大西英之さんは東京や名古屋の飲食店に勤務し、自分でも居酒屋の経営を経験。30代後半からは奥様の実家がある三重県へ移住し、県内にある居酒屋で店長として活躍していた。仕事も人間関係も順調で、給料も申し分なかったが、年齢を重ねるにつれて、深夜勤務、長時間労働が当たり前になっている生活への不安が大きくなっていったという。「この働き方を50代、60代になっても続けられるのだろうか?」そんな疑問を抱き、転職活動を決意。その結果、「夢のような場所に巡り会えた」 と喜ぶ大西さんの転職体験談を伺った。(※本記事の内容は、2020年1月取材時点の情報に基づき構成しています)
国が推進している「働き方改革」だが、実際の仕事現場では、かえって働く人々を苦しめているケースもあるようだ。三重県でSEをしていた菅原洋平さん(仮名)もその1人だった。ある日突然、定年退職者がやっていた畑違いの業務を引き継ぐことを命じられ、仕事が激増。にもかかわらず、「働き方改革」の余波で、残業代をほぼ申請できなくなってしまった。「昼休憩もとれないほど忙しくなったのに、月収は激減。このままでは家族も養っていけない」と考え、環境を変えるべく動き出した。現在は社内SEとして活躍し、収入も安定。「ストレスがなくなった」とほほ笑む菅原さんに転職の体験談を伺った。(※本記事の内容は、2019年5月取材時点の情報に基づき構成しています)
岐阜県の電子機器メーカーに勤務していた野浪さんが、実家のある三重県へのUターンを決意したのは31歳の時。「いつかは帰ろう」と思っていた野浪さんの背中を押したのは母の病だった。地元で転職先を探すにあたり、野浪さんはそれまで携わってきた開発職の継続にこだわらなかった。それは、間口を広げるためというよりも、この転職を機にまっさらな気持ちで仕事を探してみたいという思いからだった。今、「ここからはもう転職するつもりはない」と言い切る野浪さんに、希望どおりの転職を実現するまでの経緯を伺った。(※本記事の内容は、2018年8月取材時点の情報に基づき構成しています)
三重県桑名市生まれのSE、藤原さんは専門学校を卒業後、名古屋のシステム開発会社に勤めていた。やりがいのある仕事と人間関係に恵まれ、やがて責任ある仕事も任された。結婚して地元の桑名に家も建て、多忙な毎日は充実の証だと思っていた。しかし40歳を前にして立ち止まる。このままでいいのか。仕事も、家庭も。悩み、考えた末に出した答えが「転職」。38歳にして初めての転職活動に踏み切ったのはなぜか。その決断によって何を手に入れたのか。転職から2年が経とうとしている藤原さんに聞いた。(※本記事の内容は、2018年5月取材時点の情報に基づき構成しています)