木村工機株式会社
小岩達也さん(製造部門管理職) 56歳
転職のおかげで長い単身赴任生活から卒業。やっと当たり前の幸せを手に入れた。
業務用空調機のメーカーである木村工機。同社の三重にある河芸製作所で製造部副部長として活躍している小岩さんは、かつて大手飲料メーカーに勤めていた。国内外の工場を30年以上渡り歩きながら、製造プロセスのマネージメントを担当し、海外工場の工場長を務めたこともある。
そんな小岩さんが転職を考えるようになった理由は、長期化していた単身赴任生活への不安だった。40歳で家を建てて以来スタートした単身赴任生活は15年にもおよび、気がつけばもう50代中盤。一人暮らしを続けることに不安と寂しさを感じるようになったという。
「地元で暮らす両親も、もう高齢。あと何回会えるのだろう?とまじめに考えた時に、いつまでも全国を転々としていていいのか?と思ったんですよ。」と小岩さんは振り返る。
「転職していちばん良かったのは、家族と住めるようになったこと。家に帰った時、誰かが待ってくれているのはやっぱりいいですねぇ。当たり前の幸せをやっと手に入れた気がします。」としみじみ話す小岩さんの転職体験談を紹介しよう。
(※本記事の内容は、2021年12月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 過去の
転職回数 - 0回
- 活動期間
- エントリーから内定まで24日間
転職前
- 業種
- 飲料メーカー
- 職種
- 工場長、品質管理、工程管理等
- 業務内容
- 工程管理、新設備・工場の立ち上げ、工場全体の品質保証、海外子会社の役員
転職後
- 業種
- 業務用空調機メーカー
- 職種
- 製造部 副部長
- 業務内容
- 部長補佐として、資材調達から製造・出荷までの一連管理
コロナ禍で感じた、単身赴任生活の孤独と不安。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
木村工機は、業務用空調機の専門メーカーです。具体的には、工場や病院、ホテル、商業施設などで使用される空調機を製造販売しています。私の現在の役職は、製造部の副部長。津市にある河芸製作所で、資材の調達から製造、出荷まで、一連の管理を行っています。河芸製作所では、主に小型から中型の製品を製造しています。
入社前のご経歴を教えてください。
私は名古屋出身で、大学も名古屋でした。卒業後は飲料メーカーに就職し、現在の会社に転職するまで30数年間働いていました。全国の工場を転々と異動しながら、主に工程管理や品質管理を担当。ベトナムの工場では4年半ほど工場長も務めました。最後は東京本社に戻り、SCM(サプライチェーンマネジメント)の仕事をしていました。
転職のきっかけは?
いちばん大きかったのは、単身赴任生活に不安を感じるようになったことです。単身赴任をするようになったのは、40歳になった頃から。それまでは家族と一緒に全国を異動していたんですが、子どもが中学2年になり、高校受験のことを考えるとどこかに腰をすえたほうがいいということで、妻の実家がある三重県に家を建てたんです。それから15年間、単身赴任を続けてきました。
しかし、これから先のことを考えると体力的にもつらいし、不安になってきました。そのうえコロナ禍に入り自宅でテレワークをするようになると、出勤も月に数回。人に会うこともめっきり少なくなってしまいました。東京の小さな部屋に1人で閉じこもっている生活になり、これはつらいなと感じるようになったんですよ。
自分の親とも、長く会えていませんでした。親ももう80歳を過ぎています。「あと何回会えるのか?」とまじめに考えると、「いつまでも全国を回っていていいのか?」と思ったんですよね。
また仕事の面でも、その頃は東京本社で働いていたのですが、もう一度ものづくりをする工場で働きたいという気持ちもありました。それで早期退職の募集に手を挙げたんです。
転職活動はどのように進めましたか?
まずは大手の転職支援会社に登録しました。前職に業種が近い食品工場で働きたいと思っていたのですが、三重県にはなかなかないんですよね。自動車関連ならたくさん求人があったのですが、ピンとこなくて。
しかも自動車関連で求められているのは、現場のエンジニアばかり。自分には難しいと思いました。そんな状況で困っていた時に、リージョナルキャリア三重からメールが届いたんですよ。そして今の会社を紹介してもらったんです。
今の会社に決めたポイントは?
工場で働くことができそうで、募集職種が管理部門だったこともポイントでした。自分のキャリアが活かせると思いました。当初希望していた食品ではないですが、ものを作っているのは同じだということで、受けてみたんです。最終面接で社長とお会いしたのですが、80歳を過ぎているのにとてもお元気でエネルギッシュ。こういう方と仕事をするのもいいな思い、入社を決めました。
正直、それまではまったく知らない会社だったんですが、売上も順調に伸びていましたし、新型コロナウィルスの問題で換気の重要性が注目されていましたから、空調機は今後も伸びしろがありそうだと考えたことも決め手になりました。さらに、会社が家から近く、車で20分くらいの立地というのも魅力的でした。
妻の手料理を毎日食べられる幸せ。二重生活が終わって、出費も減った。
転職していかがですか?
わかってはいたことですが、予想以上に、作っているものの違いは感じました。前職は植物や微生物を使う化学の世界でしたが、今は物理学を活かしながら作る感じ。しかも、今の工場は手作業がメインなんです。一つひとつネジをしめながら組み立てていく世界に、最初は戸惑いましたね。
それでも、会社からの期待は感じています。欠員が出たから採用されたのではなく、新たな改善を期待されて採用されましたので。私にもっとも期待されているミッションは、コストの削減でしょう。最近、原材料の価格が上がっていますし、海外から入ってこないこともあります。そうしたさまざまな逆風が吹いている中で、いかにコストを削減していくかという課題に取り組んでいるところです。
転職して良かったと思うことは?
いちばんは家族と住めるようになったことです。前職時代は、同僚が「休みに家族と遊びに行った」といった話を聞くとうらやましくて。私もやっと休日を家族と過ごせるようになりました。一緒にいるだけで安心できますし、当たり前の幸せを手に入れた、という感じです。妻も一緒に暮らせることを喜んでいましたよ。今は知りませんが(笑)。
以前のようにいろいろな土地に住むのも楽しかったのですが、引っ越しするのは大変なんです。あまりに引っ越しが多かったので、開かないままの段ボールもあったほど(苦笑)。転職してそういったわずらわしさから解放されましたし、出費も減りました。単身赴任で二重生活を続けていると、出ていくお金も多いんですよ。だから、年収はダウンしても、普通に暮らせているので問題ありません。
また、名古屋にいる自分の親に会いやすくなったことも、良かったです。三重から名古屋までは意外と近いんですよ。電車なら1時間以内で行けますから、生活にも不便は感じませんね。
困っていることや課題はありますか?
当たり前ですけれど、最初は会社に知っている人がいないんです。前の会社は30年働いていたので知っている人ばかり。仕事もやりやすかったのですが、今は違います。どういう考えの人か分からない人と一緒に働かないといけない戸惑いはありましたね。
会社の規模は前職よりかなり異なりますが、ギャップはありませんでしたか?
まず、会社を選ぶ際に、規模はまったく気にしていませんでした。大きい会社は人が余っているということを、前職で実感していましたから、自分が活躍できる場所があることが大事だと思っていました。
入社後に感じているのは、規模が小さくなった分、社長との距離が非常に近くなったこと。前職で社長に会う機会はなかなかありませんでしたが、今は直接話をする機会もあります。意思決定のスピード感も違いますね。今の会社のほうが断然早く感じます。
生活面の変化はありましたか?
今回転職するまで、三重の自宅にはほとんど住んだことがなかったんですが、ようやく住めるようになりました(笑)。やっぱり、仕事を終えて家に帰った時に、家族がいるというのはいいですねぇ。それが当たり前なんでしょうけど、単身赴任時代は当たり前ではなかったので。
食事も、以前は半分は飲み会で、半分はなんとか自炊という感じだったんですが、今は毎日妻の手料理を食べることができます。手料理はおいしいですよ。毎食全部食べるから、太りますね(笑)。休日も家族で食事に出かけたり、神社巡りをしたりして、楽しんでいます。三重は良い神社がたくさんありますからね。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
人生は何が起こるかわからないし、何が正解かわかりません。転職するかどうかは、自分で決断するしかないんですね。そこで大事になるのは、やはり後悔しないことなんだと思います。自分が何を求めるかです。
私の場合はそれが、ものづくりの仕事であり、家族と一緒に暮らせることでした。地方に仕事はないと言われがちですが、給料などに理想を追い求めすぎなければ、いい仕事はあると思いますよ。
ただし、どの転職支援会社に相談するかは大事なポイントかもしれません。私はリージョナルキャリア三重に相談して良かったです。大手の転職支援会社からはなかなか求人を紹介してもらえなかったなか、地域に密着したリージョナルキャリアならではの紹介をしてもらえたと感謝しています。