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スポーツで地域課題を解決する総合型地域スポーツクラブ。

株式会社ヴィアティン三重ファミリークラブ
代表取締役社長 後藤 大介

更新日:2023年7月12日

大学卒業後、メーカーや商社勤務を経て27歳の時に中国で起業。帰国後、自動車関連の製造業を経営しながら、07年貿易商社の設立、09年モノづくり教室の開業、10年自社ブランド製品開発の団体設立、11年大学生起業家支援におけるカフェ開業、フェアトレードショップ開業などを経て、2012年に株式会社ヴィアティン三重ファミリークラブを設立し代表取締役就任(現任)。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

中国で誓った「日本の子どもたちへの貢献」。

大学卒業後、商社で営業をしていた頃、アジア、特に中国への出張が多かったこともあり、2002年に中国で起業しました。当時の中国は未整備な国ではありましたが、凄まじい勢いがあり、国全体も子どもたちも活気に満ち溢れていました。

一方わが国はというと、子どもが外で遊ぶことは減って家の中でのゲームばかり。いじめや不登校が増える一方で、「このままではいけない、未来の日本のために、子どもたちのために何かできることはないか」と考えるようになり、帰国したら日本の子どもたちのために何かを始めようと心に誓いました。

帰国後、自動車関連の製造業を経営しながら、ものづくりこそが子どもたちの創造性を育むと考え、三重県内と名古屋で子ども向けの「モノづくり教室」を始めました。最初は、ものづくりを教えることは、本業への相乗効果も期待できるだろうという考えもありましたが、続けるうちにそんなことは忘れ、「子どもたちのために」とどんどんのめり込むようになりました。

オランダで誓った「スポーツクラブ」の設立。

モノづくり教室を続けるうちに、「健全な成長には丈夫な体が重要」と考え、スポーツ関連の構想を持つようになりました。その後、名古屋グランパスエイトのOBの方と知り合い、そのご縁でオランダ視察の機会に恵まれました。

サッカー強豪国で名高いオランダでは、サッカーのクラブチームだけが突出しているのかと思いきや、総合型スポーツクラブが普及しており、強豪サッカーチームもその中の一つという立ち位置でした。この姿に強く魅せられ、このようなクラブを地元に作ることを心に誓いました。

オランダサッカー協会の方にクラブ名を相談すると、オランダサッカーのレジェンドであるヨハン・クライフの永久欠番となっている背番号14のオランダ語Veertien(ヴィアティン)を提案いただき、その場で即決しました。

クライフ氏にはJリーグに上がったらご挨拶に伺いたいと思っていましたが、同氏が2016年に亡くなられたのでその夢はかないませんでした。

しかし、最近になって当クラブの名称の由来を人づてに知ったクライフミュージアムの方から連絡があり、当クラブのグッズなどを同ミュージアムに展示してもらうことになりました。

また、当クラブにクライフ氏のパネルなどをいただけるという交流が始まり、縁の妙に驚いています。

サッカーチームではなく総合型地域スポーツクラブ。

オランダから帰国して4カ月後、当クラブの前身となるヴィアティンFCを設立しました。発足はサッカーチームでしたが、目指すのはあくまで総合型地域スポーツクラブでした。それは、オランダで目の当たりにした、子どもからお年寄りまで三世代が多様なスポーツを楽しむ姿に強く惹きつけられたからです。

そこには、私の理想の家族像が関係しているのかもしれません。幼少期、私は仕事で忙しい父と遊んだ記憶がほとんどありません。自らが経営者となった今となっては、当時の父の気持ちも状況もよく分かります。

今、私は製造業の経営と当クラブの運営で日々走り回っているのですが、それでもできる限り3人の子どもたちとの時間を作るようにしています。近くに住む父母も孫を可愛がってくれています。自分が感じている日常のこの幸せを、スポーツを通して地域でも広く実現させたいと思っています。

総合型スポーツクラブの運営は、ハード面でもソフト面でもやるべきことが山積みです。ハード面では、スポーツによって使用するコートが違いますので、一つの立派なスタジアムがあればそれで終わりというわけではありません。また、ソフト面でも競技の種類にゴールはありません。総合型スポーツクラブを目指すということは、終わりのない旅なのだということを日々実感しています。

ヴィアティン三重のステークホルダー。

一般の企業経営とクラブ運営の最大の違いは、ステークホルダーが多いことです。プレイヤーやコーチ陣はもちろん、スポンサーや支援者、ボランティアの方々、そして地域の住民の皆さんがすべてステークホルダーです。

企業経営者は地域貢献したいという気持ちを持っています。しかし、大企業ならまだしも、中小企業ではCSRやSDGsの専門部署を持つことは難しく、自社の経営を優先するなかで、なかなか地域貢献できないというのが実情です。

そういった地元企業に、「当クラブを介して、スポーツを通じて地域貢献しませんか」と呼びかけて活動を支援いただいています。

商工会議所や青年会議所があるように、当クラブはスポーツ会議所ですと説明しています。スポーツですから試合で勝つに越したことはありませんが、当クラブの支援者の方々はこの考え方を理解し、「子どもたちを笑顔に、地域と共に夢と感動を」という理念にご賛同いただいています。

「晴れの日があれば雨の日もあるよね」と言いながら、長きにわたって応援してくださっている支援者が多いです。

ヴィアティン三重のスタッフ。

多くのスタッフは、人の繋がりというご縁で当クラブに加わってくれています。コーチなど競技系のスタッフは、その種目の人的繋がりの中で参画してくれています。事務方スタッフも紹介が多いです。知り合いの経営者からの紹介や、スタッフからの友人や知人の紹介も多いですし、アスリートとして引退した後の第二の人生として加わってくれたスタッフもいます。

設立当初は、スタッフの数も少なく、何から何まで自分でやっていたという印象です。特に、営業に関しては設立7年目頃まで私が一人でやっていましたが、今では営業チームができていて隔世の感があります。

また、ステークホルダーが多いだけに大小の行き違いも決して少なくないのですが、私に代わってそれを収束させてくれるスタッフが出てきたのも心強い限りです。

小さい組織であるにもかかわらず、多くの種目のスポーツをカバーしていますので、組織運営は難しいのですが、みんなが持ち前の明るさと機転で上手く回してくれています。

採用面接では、「当クラブには、情熱とバイタリティとフットワークが必要だ」と説明していますが、それらを兼ね備えたスタッフのおかげでここまでこられたと感謝しています。

これからのヴィアティン三重。

先日、ある新聞の取材に、「現在の達成度は、理想から見ると5%」と回答しました。「既に11競技、24チーム、約900名が所属という総合型地域スポーツクラブになっているのに、5%ですか」と問い返されましたが、その程度だと感じています。

ハード面では、複合スタジアムを持つことを理想としていますが、それはとてつもなく大きな理想です。また、子どもからお年寄りまで三世代が楽しめるという点に関しては、高齢者への対応が遅れています。

当クラブは、スポーツを通じた地域課題の解決を目指していますが、地域課題は時とともに変わりますし、増えもします。競技の種類も当クラブから増やしたわけではなく、課題を抱えた競技団体などからの相談がきっかけとなっており、現在も複数の相談を受けています。

ですから、10年後に達成度を尋ねられても、やはり5%と言っているかもしれません(笑)。

一方で、できていることに目を向けると、三重県下で初めてJ3基準を満たしたLA・PITA東員スタジアムがあります。その隣には大きな公園、少し歩くと体育館、地元の方が開店してくれた当クラブを応援するカフェもあり、実は手作りの複合スタジアムができつつあるのです。

当クラブは、同じスポーツでもフィットネスクラブとは違いますし、サッカーオンリーのクラブチームとも違います。総合型スポーツクラブゆえに、大人が必死に努力する姿や、子どもが喜ぶ顔に勇気づけられます。

地域クラブとして、地域の課題や困りごとをスポーツで解決していますので、達成感ややりがいを直接実感できる仕事でもあります。

これまでさまざまな業種の経営に携わってきましたが、スポーツクラブの経営は本当に難しいと実感します。しかし、それだけにやりがいも大きいですし、これまで経験した中でもっとも面白い仕事だと感じます。

当クラブの運営に興味を持っていただいた方は、試合やイベントの会場で、私やスタッフにぜひ声を掛けてください。

編集後記

コンサルタント
三田 泰久

ヴィアティン三重をゼロから立ち上げてここまで育ててきたことだけでも素晴らしいと思いますが、クラブ運営以前からの事業として、自動化生産設備のメーカーも経営されていることには驚きました。

ヴィアティン三重はサッカーだけでなく、バレーやバスケット、ハンドボールなど、さまざまなチームを持っていて独特だなと思っていましたが、地域課題をスポーツで解決する総合型スポーツクラブとして活動していると知り、ますます好きになりました。

三重県初のJリーグチーム誕生も待ち遠しいですが、それ以上に総合型地域スポーツクラブが完成形に近付くことを、微力ながら応援していきたいと思います。

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