伊藤製油株式会社
高橋健司さん(仮名・プラント統括責任者) 57歳
56歳で念願のUターンを実現。地方には、これまでの経験を活かすチャンスがある!
高橋さんは元・大手化学メーカーの技術者。勤務先の三重県四日市に二世帯住宅を建て、実家から親を呼び寄せた直後、東京へ異動になった。
以来、月に1度のペースで東京から四日市へ帰省する生活を継続したものの、体力的な限界を感じて愛知県の会社に転職。しかし、そこでも仕事が忙しく、結局週末しか自宅へは帰れない。「定年までこの生活が続くのか...」と諦めかけていたところに、以前転職を相談していたコンサルタントから「四日市の求人がある」と連絡が入った。
56歳で念願だったUターン転職を実現し「今までの経験を十分に生かせています」と喜ぶ高橋さんに、その体験談を伺った。
※本記事の内容は、2020年3月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 5回
- 活動期間
- エントリーから内定まで1100日間
転職前
- 業種
- 化学(原薬受託製造)メーカー
- 職種
- 技術課長
- 業務内容
- プロジェクトマネジメント、教育指導など
転職後
- 業種
- 化学(産業用油)メーカー
- 職種
- プラント統括責任者
- 業務内容
- プラント企画設計・工程管理および生産技術開発、指導教育など。
「1人暮らしの母のために、四日市へ帰りたい」という願い。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
四日市に本社がある、ひまし油とその誘導体を製造している伊藤製油で働いています。ひまし油は、「ひま」という植物の種子を搾って得る天然の植物油です。国内には2社しか製造していないニッチな業界ですが、国内ではトップシェアを誇っており、当社の製品は化粧品やペンキ、添加剤など、身の周りのさまざまな製品に使用されています。
私は今、その本社工場で生産部課長として、工場増設や再編成に伴う企画・プラント設計・工程管理・生産コスト見直しに関する生産技術開発、部下への指導教育など、技術面の統括を任されています。
入社前のご経歴を教えてください。
東京の大学と大学院で有機合成を勉強した後、最初は大手化学メーカーに就職しました。三重にある事業所に配属され、主に食品添加物の生産技術を担当しながら、14年ほど勤務しました。その後、医薬原薬を製造する子会社と、親会社を行き来しながら、医薬品事業部の担当部長や、バイオポリマーに関する新規プロジェクトのマネージャー、ジェネリック原薬製造のプロジェクトリーダーとして働きました。その後、愛知県にある医薬品メーカーに転職し、原薬を受託製造する工場の技術課長と研究開発部の課長を兼務していました。
転職したきっかけは?
私自身は名古屋出身ですが、三重県の四日市で長く働いていたものですから、32歳のときに四日市に二世帯住宅を建て、両親を呼び寄せました。ところがその後、東京へ異動になり、妻子も私についてきたので、家は両親だけになってしまったんです。しかも8年前に父が他界してからは、母が1人暮らしになっていました。
月に1度は東京から四日市に帰って、母親の顔を見る生活を続けていたのですが、私も50代に入り体力的に厳しくなったことから、四日市に近い愛知県の会社に転職しました。ところが仕事が忙しくて、結局週末くらいしか帰れない。諦めかけていたところに、リージョナルキャリア三重のコンサルタントから連絡が入り、四日市にある今の会社に転職することができました。
転職活動はどのように進めましたか?
東京から四日市に通うのは無理だと感じたときに、会社を辞めようと思い「三重県の転職に強い」と聞いていたリージョナルキャリア三重に相談しました。ですが、その時は条件に合いそうな会社に巡り合えず、大手のエージェント経由で愛知の会社に転職することに。
でもその一方で、リージョナルキャリア三重にも「継続して四日市の仕事を探してほしい」とお願いをしていました。それ以降、ずっと気にかけてくれていたようで、ある時「こんな会社があります!」と連絡が。すぐに面接を受けたところ、その3か月後には入社していましたから、スピード感に自分でも驚いています(笑)。
今の会社に決めたポイントは?
四日市で働けるということが一番でしたが、私の過去のキャリアを高く評価してくれた点も大きかったです。私の経歴書を見せると、まさしくそういう人間が必要だと言ってくれまして。これまでの経験や知識も活かせると判断して、この会社に決めました。
これからは「お金」ではなく「やりたいこと」のほうが大事。
転職していかがですか?
これまでの食品添加物や医薬品とは異なる業界ですが、特に戸惑いは感じませんでしたね。油脂製品もなじみがありましたし、よく似た業界の製品ですから、勘どころはわかっていたと思います。
企業規模は以前よりもコンパクトなので、仕事が細かいセクションに分かれているわけではなく、幅広い業務をカバーする必要があり、私としてはそこがやりがいになっていますね。これまでサプライチェーンをひと通り回ってきて、いろいろな仕事をやってきましたので、その経験が生きていると感じています。重宝されるのも嬉しいですし、充実感があります。
また、これまでの会社とは企業文化などの違いがありますが、そこが伸びしろの部分でもあるのかなと感じています。私が外で経験した視点を持ち込むことで少しずつ変えていくのも面白いのかなと思っています。
生活面の変化はありましたか?
久しぶりに、自分が建てた家に住めるようになりました(笑)。築25年になりますが、私自身は半分も住んでいないでしょうね。
母と暮らすのも本当に久しぶりです。母も高齢ですから、安心したようです。今は夕食も毎日一緒に食べていますし、土日も買い物に連れて行ったりしています。子どもたちはみんな独立していますから、これからの人生は、今までのぶんも、親孝行したいと思っています。
困ったことや課題はありますか?
四日市はもともと地元ですし、生活の面では特にはないですね。ただ、仕事の面では多少ギャップを感じることはあるので、組織としてプラスになるのであれば改善に取り組んでいくことが自分のミッションだと思っています。
今は状況を把握しながら、共感者を集めているところ。社長や専務と直接話す機会もあるので、少しずつ変えていけたらいいなと思っています。
転職して良かったと思うことは?
何より自宅に戻ってこられたことですよね。勤務地を転々と異動するのは大変です。「なんのために働いているのか?」と思ったこともありました。いつかは四日市に戻って腰を据えたい、とずっと願っていましたから、それがかなって本当にうれしいです。
仕事の面でも、残された会社生活で「自分に何ができるか?」ということをずっと考えていました。若い人に自分の経験を伝えたいと思っていたので、今の会社はまさにそういう役割を与えてくれています。この歳で自分の経験を買ってくれる環境に出会えて、本当にありがたいと思っています。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
過去のしがらみがあって、なかなか転職に踏み出せない人もいると思いますが、やってみたら意外とうまくいくものです。特にUターン転職では、収入の変化は私も不安でしたし、実際に収入は落ちました。でも、子どもたちも就職しているし、それほど年収にこだわる必要がないんですね。それよりも、これからの人生は「やりたいことをやる」ということのほうが大事だと思っています。
50代での転職については、私も難しいと思っていて、実は半分以上はあきらめていたんです。でも実際に転職活動を経験してみると、意外とそうでもないと感じています。40代、50代はいろいろな経験をしているので、そういったことを求めている企業も多いのではないかと感じました。せっかく活躍の場をいただいたので、今度はこの経験を若い世代に伝えていくことが我々のミッションなのかなと思うんです。
ですから、同年代の方は、ぜひ地方に目を向けてほしい。皆さんの経験を生かせるチャンスがまだまだたくさんあると思います。