転職成功者インタビュー

橋本電子工業株式会社
岩崎健治さん(仮名・設計開発) 45歳

地方への転職は、「減る」ものより、「増える」もののほうが多いと思う。

少し前まで、日本を代表する大手総合家電メーカーの技術者だった岩崎健治さん(仮名)。現在は、ふるさと・三重県にある100名ほどの社員が働く企業で、大手メーカーに提供する製品のソフトウェアを開発している。

今回の転職で、働く会社の規模は数百分の1に、子どもが通う小学校も、全校児童80人の小さな学校となった。それでも、地方に来たからこそ増えたものも多いという。

「会社が小さいので、いろいろな仕事を任されるようになりました。お客さまの顔を見られるようになったのも、新たなやりがいですね。家の周りには自然がたくさんあり、子どももパワーアップした気がします」と目を細める岩崎さん。

大手企業から地場企業へ、都会から地方へと、人生の舵を大きく切った岩崎さんに、その理由と現在の率直な感想をうかがった。

(※本記事の内容は、2015年2月取材時点の情報に基づき構成しています)

過去の
転職回数
1回
活動期間
エントリーから内定まで98日間

転職前

業種
総合家電メーカー
職種
電子回路設計
業務内容
半導体デバイスのテスト評価、デジタル回路設計、イーサーネット評価

転職後

業種
電子部品メーカー
職種
商品設計
業務内容
医用健康機器やセキュリティ機器、電子応用制御機器などの商品設計

合理化とリストラを推し進める会社。そんなとき、母親が1人暮らしに。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

電子機器や生産工程自動化装置、電子キーシステムなどを作っているメーカーの商品設計グループで働いています。私が担当しているのは、ある大手メーカーに供給する健康機器。その機器に組み込むソフトウェアの開発を担当しています。

入社前のご経歴を教えてください。

大学院を卒業後、大手の総合家電メーカーに就職。以来、その会社で半導体の設計開発を担当していました。具体的には、パソコン周辺機器用の半導体デバイスのテスト評価や、ハードウェア記述言語によるデジタル回路の設計、組み込みソフトウェアによるイーサネットの開発と評価などに携わっていました。

転職のきっかけは?

父が亡くなったことです。それまでは大阪に住み、京都の職場まで通っていました。私は長男なので、いずれ実家に帰ろうとは思っていました。しかし「会社を辞めて帰る」とまでは考えておらず、「定年退職したら帰ろう」くらいの気持ちでした。

ところが、私が41歳のときに父が亡くなり、母が1人になってしまったのです。それ以来、母のことが心配で、実家へ帰ることも多くなりましたし、埼玉に住む姉も母のことをとても心配していました。

そこで、「三重の実家から通える会社を探そう」と思い立ったのです。妻も同じ三重出身だったので、最終的には二人で話し合い、転職することを決めました。5年ほど前のことですね。

大手メーカーを辞めることに迷いはありませんでしたか?

やり残したことはなかったので、迷いはありませんでした。大企業の社員だから得していたというわけでもありませんから。今思えば、仕事にも物足りなさを感じていたのだと思います。

会社では、数年前から新しいことに挑戦しなくなっていました。設計においても変化がないというか、ルーティンワークのように同じことばかり繰り返していたのです。

それに加えて、リストラも始まりました。そのときはまだ、リストラの対象ではありませんでしたが、「次のタイミングではどうなるかわからない」という不安もありましたね。「もし50歳になってリストラに遭ったら、それからの転職はもっと難しいかもしれない」そんな気持ちも、今回転職を考えた背景にはあったと思います。

転職活動はどのように進めましたか?

はじめは、専門職向けの人材銀行や、ハローワークを利用して探していました。私は「半導体設計」という職種で探していたのですが、なかなか見つけられませんでした。不景気だったこともあり、半導体関連の求人は少なかったですしね。ハローワークでも「半導体業界の紹介は難しい」と言われました。

そこで、4年ほど前にリージョナルキャリア三重に登録しました。登録して1年目は何もなく、2年目にあるメーカーを1件紹介してもらい、面接を受けました。しかし、残念ながらその会社は不採用となってしまいました。

その後も、引き続き良い案件があれば紹介してほしいとお願いしていたところ、3年目に紹介してもらったのが、今の会社です。昨年の3月、45歳のときに前の会社を辞め、4月に今の会社に入社しました。

転職先を探し始めて4年かかったのですね。焦りはありませんでしたか?

焦りはありませんでしたね。まだ会社を辞めていませんでしたから。良い話があるまでは、とりあえず今の仕事を続けようと思っていました。

幸い母もまだ元気でしたし、「無理してでも帰ってこい」という感じではありませんでした。「もし自分が納得する仕事があれば、帰っておいで」と言ってくれたのが良かったと思います。

今の会社に決めたポイントは?

医療の分野で、新しい製品を作ろうとしているところに魅力を感じました。これから伸びそうな分野だな、と。社長の人柄にもひかれました。明るくて、心の大きい方です。面接などで4回会社を訪問したのですが、そのうち3回は社長がお時間を取ってくださり、気さくに話をしてくれました。

仕事はソフトウェア開発ということで、自分の専門とは少し違ったのですが、前職でも評価の過程でソフトウェアにもある程度携わっていましたし、C言語も使っていたので大丈夫だろうと、チャレンジすることに決めました。

家族、会社、地域。たくさんのふれあいが、生活を豊かに

転職していかがでしたか?

楽しく仕事をしています。皆さん優しいですし、あいさつも気持ち良くて、良い雰囲気です。それに、お客さまにより近い仕事になったことが嬉しいです。

お客さまとの打ち合わせや試作品を持っていくことは、前の会社では営業が行っていましたが、今はすべて自分でやっています。お客さまの顔が見えるので、やりがいがありますね。

その他にも、出荷物も自分で梱包して送らないといけません。会社が小さいので、やることがいっぱいです(笑)。忙しい毎日ですが、任せてもらっていると思って、がんばっています。

生活面での変化はいかがですか?

今は三重にある実家に住んでおり、会社までは車で1時間ほどです。ただ、そんなに大変ではないですね。以前は大阪から京都まで、重たい荷物を持ち、1時間半ほどかけて電車で通勤していたので、それに比べたら楽です。

帰宅する時間も早くなり、朝もゆっくり家を出られるようになりました。以前は朝6時30分ごろに出て、帰りは夜の11時ということも珍しくありませんでした。だから、1週間丸々子どもの顔を見ないということもありましたね。朝も、妻がかろうじて布団の中から「いってらっしゃい」と手を振ってくれるだけで(苦笑)。でも、今は妻が弁当を作ってくれますし、子どもとも毎日触れあうことができます。

会社の人から誘われて、テニスも始めました。週に1度は午後5時半に帰宅できる日があるのですが、そのままその足でテニスコートに行きます(笑)。前の会社では考えられないことですよ。

また、みんなで溝掃除をするなど、地域とのふれあいが増えました。子どもの学校行事にもよく参加しています。前の学校では、父親が参加できる行事が授業参観くらいだったのですが、今の学校は行事が多いですね。田舎にある80人くらいの小さな小学校なので、地域とのつながりを大切にしているのだと思います。

お子さんを転校させる不安はありましたか?

そうですね。心配していましたが、すぐに慣れてくれたので良かったです。子どもは小学3年生なのですが、毎日友達と約束して遊びに出かけています。

家のまわりは自然がたくさんありますし、ザリガニをつかまえるなど、のびのびと遊んでいます。大阪にいる頃はおとなしい印象でしたが、三重にきてパワーアップしていますよ(笑)。

困っていることや課題はありますか?

家が寒いことですかね(笑)。実家は昔ながらの木造なので、すきま風が入ってきてしまいます。特に、実家の辺りは西風が強くて。温かい家にするのが当面の課題ですね。

それに、こちらは車社会。自宅前の道路をかなりの車が行き来し、速度もかなり出しているので、妻は子どものことが心配だと言っています。

私は地域の高齢化も心配です。三重の中でも田舎のほうなので、若い人がどんどん県外に出ていってしまいます。子どものクラスの生徒も15人くらいしかいません。この先どうなっていくのか、という漠然とした心配はありますね。

転職してよかったと思うことは?

実家に帰れたことですね。やはり安心です。大阪に住んでいたときは、父が亡くなってからというもの、毎日母に電話をしていましたが、今はいつも母の様子がわかりますから。私たちが帰ったことで、母も安心したようです。

妻の実家にも定期的に行っていますよ。子どもの面倒を見てもらえるので、妻にも自由な時間ができたみたいです。両親も含め、家族との交流が増えたのが、いちばん良かったことだと思います。自然がいっぱいの環境は、子どもにも良いと思いますし。

会社の雰囲気も良いですね。仲良く楽しく、厳しく働いている感じが気に入っています。以前のような大企業だと、なかなか楽しい雰囲気は味わえないですよね。今思えば、ギスギスすることもあったかもしれません。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

私が転職を思い立った際、まず知人に相談しました。そのときに受けたのが、「今の会社を辞めて探すのは良くない」というアドバイスでした。辞めてしまうと、なかなか決まらないと焦ってしまうし、辞めてから間が空くと「何があったのか」と面接で聞かれることになりますから。

しかし、仕事をしながら転職活動をするのは大変です。住んでいる場所と希望勤務地が離れていたら、なおさらですよね。だから、リージョナルキャリア三重には助けられました。自分で求人を探す手間が省けたのはとても大きいと思います。

最近は景気が少し良くなってきたのか、今の会社でも人手が足りなくて驚いています。私が入社した後に、中途採用で入社してきた人もいますし、人手不足で困っている会社はたくさんあると思います。今は地方の会社に転職するチャンスがかなりあるのではないでしょうか。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
瀬古 さやか

岩崎さんと最初にお会いしたのは、2012年のお盆に開催したUターン就職相談会でした。当時は、まだUターンされる具体的なイメージはありませんでしたが、その温厚篤実なお人柄と共に、デジタル回路設計のエキスパートという強い印象を持ちました。

そして、1年以上たって橋本電子工業社から「商品設計」の求人のお話をいただいたとき、真っ先に頭に浮かんだのが岩崎さんでした。早速岩崎さんに連絡を取り、ご推薦の運びとなりました。

面接では共に意気投合、ほどなく内定となりましたが、お子さまの進学時期にご配慮いただき、新年度入社となりました。

現在は、公私ともども充実した日々を送られているとのことで、大変嬉しく思っております。今後、ますますのご活躍をお祈りしています。

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